夏目漱石は最晩年の1914年11月学習院で「私の個人主義」という題目の講演をしました。
個人の幸福の基礎となるべき個人主義は個人の自由がその内容になっているには相違ありませんが、各人の享有するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。これは理論というよりもむしろ事実から出る理論といった方が好いかも知れません。つまり自然の状態がそうなって来るのです。国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨張して来る、それが当然の話です。いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、疳違いをしてただ無暗に個性の発展ばかり目懸けている人はないはずです。 その「当然の話」がわからない大人が世界中にいます。黙って耐えているのは子どもたちだということが、彼らが書いてきた体験の振り返りから感じ取ることができます。一つだけ引用します。"Yes, ‘medicine can't cure stupidity'. People that refused to self isolate, bulk bought and didn't listen made the pandemic worse." 通読すると、自粛生活が世界中のどこの国や地域よりも短い期間だった私たちの住むWestern Australia州の子どもたちでさえ感情の安定を失ったことがわかります。 自由や権利を自己解釈した大人たちの行動は、子どもたちの目にはお手本とは映らなかったことは確かです。そして来週の月曜日から学校が完全に正常化します。 質問です。
私たちの学校では、あたりまえの自由が狭められた反動、というよりは新発見であふれています。自分の好きなように使える時間がたくさんあること、time poorだった子どもたちや教職員が time richになった既得権は失いたくないと思っていることでしょう。開校以来対面で実施してきた保護者面談もonlineですれば効率よく時間的にも無駄のない方法だということもわかりました。賢い学校・学級運営が始まる予感がしています。 世界の各地で再開した学校の様子をこの記事から眺めました。学校にかかわるすべての人々にとって、学校の正常化が喜びと安堵につながることを念じています。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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