この時季の空港の到着ロビーはクリスマスを共に過ごすために帰省する家族や親戚、友人を迎える人々であふれています。食料品店やスーパーマーケットもクリスマスのご馳走を作る材料を求める買い物客で大混雑です。
多くの家庭に定番の料理や飲み物、毎年のしきたりのようなものがあり、誰とどこでどのように祝うかを決めることは大切な準備の一つです。核家族化が浸透している社会ですが、たくさんの家族が集まって祝う習慣や、他人がどのように祝うかということにも気を配る様子を見るたびにこの多民族多文化の国に住む人々のあたたかさとやさしさを感じます。 私たちはお金や品物で感謝や同情の気持ちを表現しようとしますが、その選択肢よりも時間や努力を人のために捧げることの優位性に気づくのもこの時季です。たくさんのボランティアがクリスマスの朝に路上生活の人や身寄りのない人々にご馳走をふるまいます。 質問です。
今年も子どもたちにいろいろなことを頼みました。プログラムのデザインや挿絵、ドローンを使った撮影、行事の準備や運営、来校者の案内など思いおこすと次から次へと出てきます。それらの役割に時間を惜しみなく使って見事にやり遂げてくれました。子どもたちには成就感や達成感を味わってもらえたと思いますが、私の視点で振り返ると子どもたちと信頼関係を築けたこと、作業を通して一人ひとりにスポットライトを当てることができたことをうれしく思います。 この国ではクリスマスカードのやり取りの習慣は過去のものとなってしまいましたが、不思議にも今年はこの数年の中では一番の枚数をもらいました。そして、受け取る相手がこの一年どのように過ごしたのかを思いながら時間をかけて書くことは尊い作業だと気がつきます。自分も含めて、カードを書くことをやめた人々はそれに使っていた時間を、別の方法で相手を思うことには使っていないだろうと予想がつきます。このようにして私たちの周囲の人々を思う時間が少なくなっていくとすると、人間関係は一層表面的なものになり相対的に社会が脆弱化していくのかもしれません。 SNSはそれを食い止めるでしょうか。あるいは自己顕示欲と自己陶酔に溺れたCallout cultureを助長するだけでしょうか。
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Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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