差し歯が突然抜けたものの、予約は2週間先で、不自由を感じながらも待つしかありませんでした。昨日ようやく歯科医に行って治してもらいました。鼻歌交じりに診察室に入って来て、冗談を飛ばしながら元どおりにしてくれました。私と同年代のこの歯科医は、週末に他の医師たちとバスに乗って移民や経済的弱者の施設に出向いて無料で治療をしています。同僚の元難民も無料で虫歯を治してもらいました。
『三国志』に華佗という医者の話があります。関羽のけがを治療した華佗は関羽からの礼金に手も触れずに「大医は国を医し、仁医は人を医す。自分は金儲けに来たわけではありません。」と言って飄然と小舟に乗ってかえってしまいます。紛争地域で医療活動に携わる人たちも、純粋に人道主義に基づいて従事されているのだろうと思います。 8月は日本人にとって、歴史的事実に向かい合い平和や生きることの意味を考える機会が多くあります。私たち Kolbe College に集う者たちにも8月はとても意味の深い月です。校名のKolbe 神父がAuschwitzの飢餓牢で生涯を終えるからです。なぜ強制収容所に送り込まれたのか、そこで何をしたのか、どういう過程で死に至ったのか、生徒たちは宗教の時間に学習します。 原爆記念日や終戦記念日がいつなのか知らない子どもたちが多くなっているという報道を目にしました。質問です。 ① 原爆記念日や終戦記念日を知らないことは子どもたちの責任でしょうか。 ② 史実を知っているということと平和の尊さを理解し平和な社会を構成する一員として行動するということにどのような相関関係があるのでしょうか。 1930年から36年まで長崎で布教活動をしたKolbe神父と、その頃長崎で生活をしていた「サチ子」の視点で構成された小説『女の一生 二部 サチ子の場合』のあとがきで、作者の遠藤周作さんが書かれていることがいつも頭の片隅にあります。「電車のなか、バスのなか、あるいは駅前で、私は自分と同じ年頃の主婦を見るたびに何とも言えぬ親近感を急に感じることがある。その親近感は自分たちが同世代であり、共におなじ歴史を生きて来たのだという事実から生まれている。あのくるしかった大きな戦争を生きぬき、あの変動の戦後をどうにか経てきた----それが我々の世代なのだが、そうしたムツカしいことではなく、「おたがい、よく生き残れましたね」という率直な気持ちなのかもしれない。」 今日は Kolbe神父の生涯と功績を讃える学校祭 Kolbe Day です。厳かな全校ミサから始まりますが、そのあとは「お祭り騒ぎ」に早変わりします。このような笑い声に満ちた命日のお祝いが天上の Kolbe神父への最上の贈り物だと私たちは思っています。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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