公立小学校の教師として仕事を始めて3年目に読んだ大村はま先生の本を再び読む機会を得ました。1970年8月にあった新規採用教員研修会での講演をまとめたものです。読み進めるうちに、大村先生の言葉が研修会場でその肉声を聞いているように胸に響いてきました。
教室とは先生が手をとって教えるところなんです。そのたいせつな「教えること」を、私は教室でうんとやってほしいと思います。そして「読んできたか。」という文句は禁句にしてほしいもんだなあと思います。(中略)教育の現場がいかに検査場に化しているかということが、今さらのように思われるのです。そして、学校というところはいちばん遅れちゃったなあと…、いちばん進んだ人をつくるためにあるはずの学校が、いちばん遅れてしまったなあとつくづく思うのです。 一人前の職業人だ、専門職だと胸を張って言うんだったら、専門職らしく生きてほしい。そしてうまくいかない責任は自分でとるべきであって、相手が勉強しないなんてそんなことを言えるものではありません。相手の責任にできる職業なんて他にはないんです。 ところで、「優しくて親切」なんていうのは「一生懸命」と同じことで、あたりまえのことなんです。その反対だったらどうしましょう。だから、「優しくて親切」なんて、長所でもなんでもない、教師としてあたりまえのことです。そんなことなんでもないとお思いになりませんか。「あたたかな心」もそうです。教師ともなる人だったら、誇りにもならなければ、長所でもない。あたりまえに出勤したと同じことです。そうではなくて、教師は専門職ですから、やっぱり生徒に力をつけなければだめです。ほんとうの意味で…。こうした世の中を生きぬく力が、優劣に応じてそれぞれにつかなければならないと思います。 子どもは、常に一人一人を見るべきであって、それ以外は見るべきでない。束にして見るべきものでないと思います。一斉授業であっても、一人一人を見てやるということなのです。「グループ指導」ということをいたしますね。「グループ」も、個人をよく生かすために編成するんであって、束にして教えるためではないのです。結局「教育」は個人の問題なんじゃないか、個人を生かすために個人にしたり集団にしたり、小さなグループにしたりいろいろな方法があるけれども、つまりは個人を伸ばすことが中心であると思います。 子どもというものは「与えられた仕事が自分に合っていて、それをやることがわかれば、こんな姿になるんだな。」ということがわかりました。(中略)そして、人間の尊さ、求める心の尊さを思い、それを生かすことができないのは全く教師の力の不足にすぎないのだ、ということがよくわかりました。 新米教師だった私は大村先生の言葉から何を感じ、何を考え、何に触発されたのか、あの時の自分に問いかけたいと思いました。
1 コメント
金子暁
11/9/2018 08:34:01 am
パースで日本(私たち)の学校と訪問した学校の違いをずっと考えていたのですが、大村先生はとっくに日本の学校の中でここに至っていたのですね。外へ何かを求めているなかで、実は求めているものは自分のこんなに近くにあった!のだと思いました。でも、パースの体験が積み重なってのこの衝撃なのだと思いました。ありがとうございます。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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