『教科書を子どもが創る小学校』という題名の本は1982年に出版されました。生活に根ざした学習の実践記録がぎっしりと詰まったこの本を、その翌年に当時勤めていた公立小学校の校長先生に、ここに書いてあるような実践をしたいと考えているのでこれを読んでみてくださいと手渡しました。ずいぶん唐突なことをしたものだと思います。しばらくして校長先生からこの本が返ってきました。「私がすべて責任を負うから、あなたのやりたいことをしてみなさい。」という言葉も付いてきました。
それに勢いづいて、次の準備としてこの本を学級のすべての保護者に回し読みをしてもらいました。これから始まる生活体験学習についての理解と協賛を仰ぐ必要があると考えたのでした。こうして2年2組の学級では様々な活動や労働を通した教科書にない深い学習が始まり、子どもたちが卒業するまで5年間続きました。 先月ある研修会で、教科書を中心とした学習の対極にある課題(問題)解決学習を取りあげました。日本には生活や労働と学習が結びついた教育実践があったことを示すために、この本から一節を引用しました。「教師には一般に三つのとらわれがあるようである。自分は教師であるというとらわれ、教科というものが本質的に存在していると思うとらわれ、教科書の内容を逐一教えこまなければならないと思うとらわれの三つである。これらのとらわれを、何はともあれ棄ててことに当たってみようではないか、というのが私たちの考えるところであった。とらわれがある限り、子どものなかにある学習の芽を見つけることも、ましてそれを育てることもできないだろうからである。」 すると、ひとりの参加者の手があがりました。「その本に出てくるオペレッタを作った子どもは私です。私はその小学校に通いました。」 Internetで検索して調べるという手段がない時代に、限られた資料をもとに手探りで実践した一連の課題解決学習や生活体験学習のきっかけを作った『教科書を子どもが創る小学校』。伝統的な学習内容、方法、評価を取らない、子どもを中心とした豊かな学習体験を提供し続ける学校とそこでの実践。自分のいる環境では不可能であることは明らかでしたが、その学校の実践に近づくことが究極の目標でした。 賛同者の輪をじわじわと広げて試行錯誤を続けながら独自の実践を展開することができたのはこの本があったからでしょう。教師として歩み始めた当時の自分に大きな影響を与えた一冊の本、そこに出てくる学校に通い様々な貴重な実体験を持つ方との巡り合わせは、まさに奇跡的な出来事でした。その方が音楽の教師になられたということは偶然ではなかったとも感じました。
1 コメント
早田和男
24/8/2022 09:22:03 pm
萩原先生の学校生活は、本当に素晴らしいものだったのでないかと推察いたします。初めまして、千葉に住む早田と申します。ぼくは千葉市内の会社勤務の中でこの小松恒夫先生の著書と出合いました。著書の中の『児童の教育は、児童にたちかえり児童によって児童のうちに建設されなければならない。そとからではない、うちからである。児童のうちから構成さるべきものである(大正14年・淀川茂重)』に大いに衝撃を受け、この学校の先生と子どもたちとの関わり合いの中から先生たちの学級経営のあり方を学ぼうと、1992年7月から約13年間に亘り、毎月2日間の授業参観を続けました。そして、この体験はぼくにとっては筆舌に尽くしがたい夢のような体験となりました。萩原先生にとっても、立場や職種は違いますが、素晴らしい体験だったのではないでしょうか? なお、上記『』内の児童→社員あるいは部下、教育→仕事と読み替えて自身の課題として学ばせて貰いました。文章が少々長くなりました。悪しからずご勘弁ください。
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Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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