日本の学校には独特な教育活動や約束事・慣習があるので、日本国内に増えている日本語を母国語としない子どもたちや保護者にはすぐには理解できないことが多いと思います。一方、学校の先生方も個々に説明をしなければならない場面が多くなっていることでしょう。どちらの立場でも、共通言語が確立していない段階でのやり取りは、困難を極めることは明らかです。
公立小学校で勤務されている先生方から、新しく地域や学校に加わった海外からの人々に向けた学校行事や持ち物などを説明する映像を制作する依頼を受けました。仕事の意義に共鳴して、週末の奉仕活動としてつくリ始めました。 この制作の全工程を楽しんでいるのですが、最近先生方から送られてくる「要求」に疑問を感じ始めています。「ここはこうして」という意見を聴くことは大切なことで、可能な限りお応えするべきだと思いますが、受けとる内容は賛同するには難しい日本の学校の管理的な体質や全体主義的な価値観が現れているからです。 質問です。
数年前、ようやく安住の地を見つけて移り住んだ一家の子どもが学級に転入してきました。冬の金曜日の朝は、教室でみんなと温かいミロを飲むことになっていました。その転校生は最初の金曜日の朝、ミロを飲んだ後率先して後片付けを始めました。気がつくと、みんなの紙コップを集めて流しで洗っています。そして布巾で拭き、重ねて戸棚にしまいました。それを見ていた他の子どもたちも私も、その子に向かって何も言いませんでした。 今月末にある私立学校連盟のCross Country大会に向けて朝7時から練習をしています。9年生のひとりは回教徒で、今はRamadanの期間です。それでも休まずに練習を続けています。飲まず食わずの苦行であることは他の子どもたちも知っています。けれどもどちらも取り立てて何も言いません。 新しい人を迎え入れること、新しい環境・社会に加わることは双方の思いやりや心遣いが必要であることはいうまでもありません。とりわけ、迎え入れる側はこの繊細な時期に自分たちのやり方だけを主張して強要するようなことは避けたいと思います。
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Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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