先日の研究講座で参加されている方々と「学校文化」について考える機会を持ちました。日常的に感じる有形無形の「学校文化」を書いてもらうと、百を越えるカードが3つのテーブル (+、ー、どちらとも言えないもの) を埋めました。
カードに書かれたものにあらためて目を通すと、多くに共通する要素があることに気がつきます。学校運営や教育活動、子どもたちや教職員の態度や行動、保護者と学校の関係などに顕在する特徴的な慣習や雰囲気を「学校文化」と呼ぶとすると、挙げられたものの多くが教師や学校の管理職によってつくられた可能性が高いということです。 学校教育をStakeholders (利害関係者) の観点で見れば、学校はそこに通う子どもたち、教職員、保護者、地域住民、教育行政担当者によって構成される共同体ととらえるのが最も妥当な見地でしょう。けれども不思議なことに、その共同体の中で醸し出される「文化」のつくり手はほとんど教師の側によるようです。これは一体何を意味しているのでしょう。 質問です。
試験やテストが学習の目的になっている「文化」も崩すことができないのが現実です。少しずつですが、定期試験を廃止した学校が出てきています。けれども、それらの学校は定期試験は廃止したものの、子どもたちの理解度や習熟度を紙と鉛筆のテストで判定するという旧来の評価方法からは抜け出ていません。教師や学校が評価の方法や時期について多くの選択肢を持たないことは、子どもたちにとって不幸なことだと思います。子どもたちの学びの証拠、深化、発展をどうとらえるのかについての議論や改革の動きが乏しいことも日本の学校文化の一面だと感じます。 学校のあり方、子どもたちと教師の関係を考えた時に、次の引用にあるような「文化」を築くことができたら、何とすばらしいことでしょう。 “when both teachers and students have the expectation, or mindset, that one gets smarter through one's efforts, then challenge and mistakes can be embraced as learning opportunities. Ron Ritchhart (2015) Create Cultures of Thinking”
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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