1月31日日曜日の昼過ぎ、その日の18時からWestern Australia州の中心部のLockdownが発令されるという情報が走りました。
Western Australiaには毎週500人程度の人が海外から入国します。それらの人は到着後2週間州が指定する宿泊施設で隔離に入りますが、そこで働いている人が英国の変異種に感染していることが判明したことからの判断でした。実に10か月ぶりの驚きの出来事でした。 感染者は1名。州の約200万人以上の行動や移動を2月5日18時まで完全に止めました。一番の「迷惑」を被ったのは学校でしょう。翌日2月1日は2021年度の新学年の初日で、各学校は第1週目の様々な準備や行事を万端に整えた矢先で出端をくじかれました。 その後感染者は出ず、5日18時にLockdownは解除されました。 質問です。
18世紀の思想家Rousseauは『民約論』の中で、全体意志(みんなの意志)と普遍意志(真理に相当する正しい意志)について論じています。今回の一連の出来事では州の判断によって様々な人々が「迷惑」を被ったにも関わらず、COVIDのない自由な生活を取り戻したいという全体意志が普遍意志になったように感じました。 「そうなるためには、一人一人が真理を知る能力をもった人になり、正しいことを意志する人になるよりほかはありません。それはどうして可能かと言うなら、一人一人をそのような人間に育てるよりほかはない、ということになるのです。こうして全体意志によって政治を行うという民主政治が正しい意志をもって政治が行われることになるためには、みんな、つまり民主政治のもとでの主権者である国民の一人一人が、普遍意志をみずからの意志とし、真理を見抜くことのできる人になるように教育されるよりほかはない、民主政治が真にすべての人民のための政治になるためには、みんながそのような人として教育されるよりほかはないということになります。それが「民約論」の帰結だったと言っていいのです。」梅根悟 (1971) ルソー「エミール」入門 教育の研究が人々の利益のための最大の研究課題であると考えたRousseauはEmileを同じ年1762年に出版します。私たちの仕事の本質的な意味をあらためて提示された思いです。
0 コメント
返信を残す |
Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
Categories |