Ideas 45 から学校での評価についていろいろと考えを巡らしてきました。
真夏のAustraliaでは各地の海岸や水泳施設で教育省が主催する夏休み水泳教室が開かれています。$7の費用で5回の短期水泳教室に参加できます。たくさんの子どもたちが参加して水に親しみ泳力をつけていきます。年齢別ではなく各自の泳力に合ったclassに入り、そこで次のlevelに上がるための練習をします。最終回までに規定の泳法で一定の距離が泳げるようになると進級します。単純な過程と明解な評価基準です。 質問です。 ① 水泳教室や音楽教室のように子どもたち一人ひとりの能力と技能で学習集団を構成し、その子どもたちに最適な学習内容を提供し習熟をはかる。このような学習形態の利点は何でしょうか。 ② 学齢に関係なく能力を基準として学習集団を形成し、一人ひとりの子どもたちの習熟度を高める方法を通常の教科学習に取り入れてみることは可能でしょうか。 ある内容を理解したかどうか、ある課題が解けたかどうか、という事実はほとんど毎回の学習時間の中から拾いあげることができます。さらに他の子どもとの比較ではなく純粋に一人ひとりの能力を判定する仕組みと習慣を持つことも容易なことでしょう。それらの情報をもとに、教師は一人ひとりの子どもたちがどの段階の理解度と習熟度にいるかという専門的な判断をすることができます。それを子どもたちと保護者に常時伝える。この過程を継続すれば、総括的評価(単元末評価や定期試験)のような点数での選別を目的とした教育的生産性の乏しい評価は必要でなくなります。さらに学期末の成績表も存在する意味がなくなるでしょう。 第10回研究講座で、教育的用語としてだけ存在しているように感じる「診断的、形成的評価」を実践的に活用し、今日の不自然な学習と評価の関係が有機的で真に教育的な融合となるための方法について話し合いたいと思います。 子どもたちを評価する学校が社会から「評価」されることもまた事実です。2017年11月に実施された大学入試結果をもとに、州の教育省が学校別の結果を公表しました。私たちの学校は今年もそのTop 50 listに載っています。総合的な学校評価とは言い難いこの官報には多くの問題がありますが、ひとつ着目したことは、富裕層が住む地域の学校や伝統校に劣らぬ良い結果をあげているという点です。Benjamin Bloomは人間の能力の顕現はその人が育った環境に影響を受けるという主張を展開しました。”Attainment was a product of learning, and learning was influenced by opportunity and effort. It was then, and is now, a powerful and optimistic conception of the possibilities that education provides.” 私たちの学校にはある種の環境と文化があるのかもしれないと感じました。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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