Ideas 52でEmotional Intelligence (EI・EQ)についてふれました。対象となる能力・知性は自己認識、自己管理、共感・同情、人間関係の4領域に渡ります。人間どうしの関わり方が希薄になり、誰もが言いたいことを自由に表現するような世の中になると、大人といえどもそれらの能力・知性が未発達である場合が多くなるように感じます。一方子どもたちには、日常生活に急速に浸透しているTechnologyの存在も反作用をもたらしているだろうと感ぜずにはいられません。
そういうことをぼんやりと考えているときに、最近様々な大学で導入した講座についての記事を目にしました。ひとつはTechnologyに関わる倫理、もうひとつは人間の幸福についての講座です。知識というよりは生活力として、意図的かつ構造的に指導する必要性を最高学府が判断したという事実が現代の社会や人間生活の危うさを象徴しているとも読み取ることができるでしょう。 学校で生徒たちや保護者と関わる中で、教職員と仕事をする中で、EQに課題があると直感することがあります。一昔前だったら「常識がない」などという表現で片付けていた物事でしょう。今週唐突な要求を突きつけてきた母親とmailや電話でやり取りをしました。この人は明らかにそのEQの能力に問題がある例です。残念なことに隣の市で教師をしています。 質問です。 ① 子どもたちにEQの4領域を公平に的確に育てるには、どのような仕組みが必要でしょうか。 ② 教育活動として最も近い位置にある「道徳」はEQの4領域を育むための役割を全うしているでしょうか。 生徒たちが見せる様々な問題行動に対して対症療法的な応急処置をとるのではなく、成長過程にいるすべての生徒たちがEQの能力を身に付けることを目的とした系統的な学習活動や体験の場を用意することが大切だと思います。Kolbe Collegeでは週4時間ある宗教を中核として、奉仕活動、縦割りのホームルームなどがその役割を担っています。 毎日必ず出張や体調不良で欠勤している教員に代わってclassを受け持ちます。昨日は8年生の理科でした。4人1組のgroupで弾性についての実験をして結果をまとめるという学習活動です。一つのgroupは初っ端から女の子2人と男の子2人が言い争いをしていて、実験が進みません。例えば、誰のiPadを使ってボールの弾む様子を撮るかということについて折り合いがつかないのです。このgroupは、けれども、言い争いを続けながらも誰も諦めずに何とか実験を終え、終了の10分前ぐらいから結果をまとめはじめました。私の仲介を得ずに、自分たちで口論の一山一山を越えて課題をやり遂げたことはすばらしいことです。理科よりもEQの力をつけるための良い体験学習だったと思いました。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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