私たちの学校には「生徒取り組み支援」という制度があります。何のことだかよくわからなかったのですが、子どもたちが提出してきた申込書を1枚ずつ読んで意味がわかりました。
11年生のRは、おじいさんが作った野菜が傷物だと売れ残るのを知り、その解決策としてキッチンカーで売れ残りの野菜を使ったカレーを作り販売するという企画を持っています。運転免許証の取得はまだですがすでにキッチンカーを購入して夏休み中の開店をめざして着々と準備を進めています。 12年生のNは、日本人の問題意識を高め行動力をつけるためには、学校で実践されるアクティブラーニングがどのような効果や可能性、限界があるのかを各地の高校を回って調査していました。名付けて井の中の蛙脱出作戦。 これらの活動に支援金の15万円を渡すことに決定しました。その他にも、5名の個性的な案に支援金を賦与することが決まりました。自分のやりたいことに向かう意欲と姿勢に触れうれしく思いました。 質問です。
学校や教師が頻繁に子どもたちに向かって言う言葉のひとつは「準備」でしょう。そして学校の存在理由そのものが次の学校へ進学するための準備期間という認識が一般的なように感じます。試験のための準備(詰め込み学習)、試合のための準備(練習)で毎日が埋まってしまい自分がやりたいと思っていることに手をつける時間的、精神的余裕を失っているように感じます。 When preparation is made the controlling end, then the potentialities of the present are sacrificed to a suppositions future. When this happens, the actual preparation for the future is missed or distorted. The ideal of using the present simply to get ready for the future contradicts itself. It omits, and even shuts out, the very conditions by which a person can be prepared for his future. John Dewey (1938) Experience and Education 「準備が目的になってしまうと、現在の可能性が未来の仮定のために犠牲になってしまいます。そうなると、実際の未来への準備は見過ごされたり、歪められたりします。」 子どもたちが自分の学習や活動の設計者になること (Agency) をすすめると、大人の価値観で押し付ける「準備」が確実に減るだろうと予想がつきます。
0 コメント
返信を残す |
Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
Categories |