黒澤明監督の映画はこちらに移り住んでから観る機会を得ました。そして世界的に評価の高い映画監督であることを実感しました。
今日本国内で大きく報道されている事件から誰もが感じる違和感は、黒澤作品の一つ『悪い奴ほどよく眠る』にあらわれる権力や財力を持つ人間たちの黒々とした行動と同類であると解釈すれば腑に落ちるでしょう。 閑話休題、最近の日本語から感じられる違和感の続編に移りましょう。起業家などが新しい事業を始めると必ず使われる動詞が「立ち上げる」です。私はこの表現方法に強い違和感を感じます。定食のお膳にあるご飯が右側に置かれているような不自然さがあります。その理由は、元の動詞「立ち上がる」が自動詞であったのが、いつの間にか目的語を伴う他動詞化されたことによります。前述の「眠る」も目的語を取らない自動詞です。 質問です。 ① 日本語ではどういう場合に自動詞を使う傾向があるでしょう。 ② 他動詞ではなく自動詞で物事を表現するとどんな違いが生まれるでしょう。 「もらう」や「あげる」も聞き苦しい例が多い動詞です。感動などという大切な心の動きを即物的に表現することへの抵抗感があります。それらの尊敬語や謙譲語も今や大混乱時代です。車内や店内放送の「本日もご利用いただき~」は当たり前の表現です。 感性を豊かに言葉や文章に接していくことが、自分の言語や文化を豊かにしていくことにつながると思います。そこから何かを感じる感覚を持ち続けたいと思います。週末に読んだ文章に「こしらえる」という動詞がありました。久しぶりだなあという感慨と同時に、日本で公立小学校の教師をしていた頃、校門の前にあった寿司屋の女将さんの口癖を思い出しました。学校の良き支援者であると同時に率直な「意見」を述べる旦那の店へ大勢で入って行くと、女将さんが裏から「今何かこしらえますからね」と言って煮物やらを運んできてくれました。寿司が苦手な私にはそういう料理が並ぶとうれしく感じました。 そんなことを思い出しているうちに、さらに下って子どもの頃のことも蘇ってきました。友だちを遊びに誘うときは玄関先で「遊びましょ」と歌うように呼びかけていました。相手の都合が悪いと「あーとーで」と返ってきます。そして、お使いを頼まれて店に行くと、店先で「くださいな」と抑揚をつけて言ったものです。 子どもたちのそういう習慣はいつ頃消えてしまったのでしょう。
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Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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