月曜日の朝、Learning Centreで生徒たちにまざって仕事をしていると、9年生の生徒が話しかけてきました。土日にかけて仕上げた英語の宿題のことについて興奮気味に話し始めました。選んだ本の広告posterを制作し、その意匠の趣旨と意味、対象にしている読者層などについて分析的な解説文を書くという課題です。実際に作品をiPadから出して熱っぽく説明してくれました。しばらくして作品をmailに添付して送ってきてくれました。生徒が作品などを見せにきた時はいつもその努力をほめて、Can I have this? とたずねます。
なかなかの力作で、語彙が豊かです。豊かな幅の動詞と形容詞が使われています。 日本の教育過程は外国語に限らず日本語(国語)も短編を「読む」ことに主眼がおかれていて、他の三領域には量的に均等な学習活動の機会が用意されていないように感じます。話すこと、書くことという人間にとって大切な表現活動の知識と技術を各教育段階で適切に積みあげていない現状は危機的と認識した方が良さそうです。聞くことの学習活動も皆無に等しいのではないでしょうか。 「国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは読書と交友がある。国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章語にして語れ』ということである。(中略)ふつう、生活用語は四、五百語だといわれる。その気になれば、生涯四、五百語で、、それも単語のやりとりだけですごすことができる。ただ、そういう場合、その人の精神生活は、遠い狩猟・採集の時代とすこしもかわらないのである。」司馬遼太郎 (1987) 質問です。 ① 国語力の大きな「畑」として、学校や先生方はどんな取り組みを続けていますか。 ② 子どもたちも大人も、長文を根気よく読み抜くこと、筋道を立てて話すこと、正確に冷静に聞くこと、語彙と表現方法を豊かに書くこと、そして感情を切り離し論理的に議論をする能力を育てるために何が必要でしょうか。 表現活動そのものが学習活動である演劇、ダンス、音楽、美術、書道のような教科を小学校から高校まで教育課程の中核において、多様な「表現能力」を時間をかけて大切に育てていくことができれば何とすばらしいことでしょう。自分の気持ちや考えを言語にたよらずに「伝える」「表現する」という能力が伸びると、言葉で伝える力も伸びるのではないかと思います。 先週Kolbe Collegeで演劇を履修している生徒たちの演劇発表会がありました。10年生のgroupの作品は Dear Future Generations という世界規模の自然環境破壊に対する強烈な抗議と意思表明でした。月曜日の朝に見せてもらった生徒の作品の主題にも関連しています。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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